2008年8月31日日曜日

マイアミに原子力発電所があるんだよ


マイアミに、原子力発電所があるのを、知らないひとが多い。


ハリケーン話題ついでに。



まず、どうして、ハリケーンがくるところに、原子力発電所があるわけ!?


私としては、責任者を、呼びたい!説明してもらいたい!!!




1992年のハリケーン・アンドリューが、来たときは、この発電所、直撃でした。

直すのに、90ミリオンかかったそうです。


「直すのに、90ミリオン」かかったくせに、「放射能漏れはなかった」とされてます。



本当かよ!



この発電所の周りには、たくさんのワニが飼育されています。


そいつらが、死んじゃったら、やばい!ってことらしいですけど、死んでからでは、遅い!!!




私は、ハリケーンよりも、この発電所のほうが、よっぽど怖いです。







2008年8月30日土曜日

はりけーん:ぐすたぼ



マイアミだから、あえて、スペイン語読みさせてもらう。グスタボ。


グスタボって、いうと、あいつを思い出すのだが。

名前からして、ヤなハリケーンだ・・・


私の貴重な3連休を・・・

どうして、いつも、ハリケーンは、週末に来るのかね~~~

3年前もそうでしたよ。いつも、週末。





すでに、カテゴリー4のハリケーン。

ニューオリンズに向かっているのは、あの3年前のカトリナに似ているので、とても心配。

(もう、3年もたつんかい!!)


でも、今回は、とても、対応が早い。


マイアミから、ニューオリンズなんて、車で15時間はかかると思う。

FPL(電気会社)、消防士、警察犬、救援物質などなど、要請されてもいないのに、すでに、現地に向けて出発ずみ。

さすが、マイアミ!ハリケーンのことは、わかっている!


対応の早さに、マイアミ、すばらしい!!と思いました。



ニューオリンズから、マイアミへ、避難してきている人たちも多いとか。
マイアミ行きの飛行機が、増便されているとか。


いきなり、ハリケーン、来るから!!!って荷物をまとめて逃げなくちゃいけないって、いうのも、すごいね。最悪の場合は、しばらく帰れないわけだし・・・


という、私の家にも、実は明日の早朝、ニューオリンズからの避難者が到着する予定。

マイアミにハリケーンが来たら、ニューオリンズに。

ニューオリンズにハリケーンが来たら、マイアミにと、ハリケーン避難+飲み会協定を結んでいる友達。



被害がひどくなく、しばらくマイアミに、滞在するようなことに、ならないことを願っているけど・・・





上記の写真は、土曜日(8月20日)の夜中の時点での予測。
http://www.wsvn.com/weather/



2008年7月27日日曜日

マイアミの歴史・キューバ革命後~1980年代

キューバ革命を語る前に、まず、キューバ国内に、アメリカが存在することを知っている人、手をあげて~~~



1898年にスペインは、アメリカとの戦争にまけたので、キューバの一部を、アメリカに永久租借をすることになったのです。グアンタナモとよばれる街ですが、米軍基地もあります。
(キューバが戦地と、当時はなりました。)

今は、キューバに返還しようという動きもでてますけどね・・・


さて。

第二次世界大戦が終わり、ユダヤ人たちがたくさん、アメリカに逃げてきて、マイアミに引っ越しました。

冷戦といわれるものが、強くなるころです。


そして、キューバ革命が、1950年代に起こります。

いわゆる、「共産主義」の思想ですね。

当時のアメリカの敵は、共産主義のソ連。

ずいぶん、遠い場所にあるので、安心していたら、アメリカのすぐそこに、共産主義の国ができてしまった、というわけです。


私、アメリカ来るまで、知らなかったんだけど、政治家って、みんな弁護士、なんですね。
日本って、政治家=弁護士では、ないでしょ?

カストロも、かつては、弁護士。クリントンも、ヒラリーも弁護士。オバマだって、弁護士です。


革命後、キューバ人は、メキシコ経由で、アメリカなどに、亡命するわけです。


そして、1960年代にはいり、キューバ危機。キューバで、ミサイルが、アメリカに向いてたっているというわけです。


アメリカ・キューバ間の関係が悪くなり、もちろん、亡命者は、あとをたたずです。

それで、キューバ革命後、マイアミに、キューバ人口がどんどん増えていくわけですね。



そして、以下が、一番のポイント。

1980年のたった半年間のキューバのマリエル港の開放。

マリエル港の開放については、別記事を書きますが、簡単にいうと、カストロが、「もう、勝手に亡命したいのなら亡命しろ!」と、半年間だけ、許可したのです。

アメリカ側も、その半年間だけ、受け入れることにしたのです。

この半年間、わんさわキューバからアメリカに(といっても、全員、マイアミへです)亡命します。
(「スカーフェイス」の映画も参照。)

95の高速の高架は、キューバ難民キャンプがたくさんつくられ、たくさんのキューバ人がマイアミに来ました。


当時のマイアミの、キューバ系人口が、たった半年で25%も増えたというのだから、ずいぶんだと思います。船にして、1,700船あまりが、来たそうです。


でも、カストロは、たくらみがありました。

キューバの刑務所に居た人間もみんな船に乗せて、アメリカに送ったのです。

これが、カストロのたくらみでした。悪い人間を、全員、マイアミに送ったのです。


さて、マイアミでは、何が起こったでしょうか。

今までは、お金持ち。たとえ、アルカポネのような悪いやつでも、金持ち。
そして、ユダヤ人や、北から、お金も持って、退職した人たちが、住む街のはずのマイアミ。


1980年代のマイアミは、全米一悪い街になってしまったのです。

犯罪・麻薬などの悪いイメージは、この1980年代にできたのです。


すべて、カストロの狙い通りでした。



アメリカに対する、逆襲。アメリカ人となってしまったキューバ系にたいする恨みも一緒にあったのでしょう。


1980年代から、マイアミは、最悪な街となりました。

マイアミの歴史・禁酒法時代からキューバ革命以前

それでは、マイアミの歴史の続き。

フロリダ州となってから、次は、禁酒法時代。(1920年代)

アルカポネとか、聞いたことあると思いますが、基本的には、シカゴのギャング。

禁酒法のなか、闇で酒を売買し、ずいぶん設けたそうですが、隠れ先は、マイアミ・ビーチ。

彼の親戚は、マイアミ近辺に、彼が捕まった後は、引っ越したそうです。

(とは、いうものの、夏には、どこかの州に行ってるはず・・・暑いんだもの・・・)


禁酒法の時代にマイアミが熱かった(ブームという意味ね)と、いうのは、下の事実をみたら、もっと、なっとくできるでしょう。


お金持ちが一般的に住むといわれているCoralGablesが、できたのも、1920年代。

お金持ちの大学といわれている私立University of Miamiが、設立したのも1920年代。

元大統領が、冬になると、ゴルフをしにくる、CoralGablesにある、有名な高級ホテル、ビルティモアが、できたのも1920年代。


そうです。マイアミに、たくさんの人が、引っ越してきたのです。


第二次世界大戦後には、たくさんのユダヤ人も引っ越してきました。

特にマイアミ・ビーチのあたりに、たくさんいます。


と、まだまだ、マイアミが、ヒスパニック化する前のお話でした。

2008年7月26日土曜日

マイアミの歴史・フロリダ州ができるまで

マイアミの歴史は、もちろん、キューバ革命をなしには、語れない。


それ以前の話をまず。


一般的に、マイアミを含む、フロリダという土地は、リタイアした人たちが引っ越してくるところである。

のんびりしているし、なんせ冬でも暖かいので、冬になると老人人口が高くなる。

夏になると、北のほうのもともとの土地に戻っていく冬はフロリダの人たちもたくさんいる。

フロリダはアメリカで、4番目に人口が多い州だといわれているが、それは、フロリダ州民にしておくと、税金の面で良いことがたくさんあるので、登録をしておく人が多いから、らしい。

実際、冬しか来ない人もたくさんいる。


さて。



そして、南部なので「プランテーション」という言葉を聞いたことがあるだろう。

農業。

フロリダ・オレンジなど、有名。



フロリダは、もともとは、インディアン(アメリカの原住民)がすんでいる場所だった。

「マイアミ(Miami)」という言葉は、インディアン言葉から来てる。

「タンパ(Tampa)」もそうである。

ちなみに、「タミアミ(Tamiami)」というのは、東名高速道路(東京と、名古屋をつなぐので東名)というようなかんじで、タンパとマイアミ間という意味で、タミアミなのです。


今でも、インディアン居住区には、インディアンの言葉も習える高校もある。

マイアミだと、ミコスキー居住区や、セミノール(Seminole)居住区などは、有名だ。
(ちなみにマイアミという族のインディアンもいるらしい。)

セミノールは、FSU(フロリダ州立大学)のシンボルにもなっている。



1500年代に、スペイン人がアメリカに初めて到着するが、それは、フロリダ半島のSt.Augustineだった。

St.Augustineにいくと、古い街並みが楽しめるだろう。

その後は、何度もインディアンたちと戦争をする。フロリダはスペインの植民地になったり、イギリスの植民地になったりしながら、1819年、アメリカは、フロリダを、スペインから、5ミリオンで購入する。(5億円ぐらい)


そして、数年後には、フロリダと、なるわけ。



と、今日は、ここまで。

これがすずしくて安全な家

家探しをするとき、学生さんだったら、予算があるから、なかなかうまい具合にいかないだろうけど、参考までに。


まず、マイアミでは、北向きの家・アパートは、値段が高いです。

日本だったら、「南向きの日当たりのいい家」、とかっていうのが、人気があるでしょうけど、マイアミは、反対!

南向きの家になんて、住んじゃったら、暑くて、しにそ~になります。


暑くて、よけいに、エアコン代がかかります。


アパートの場合でも、最上階は、暑いです。屋根の熱がこもって、気温に時差があったりします。

夕方や、夜に暑くなってきたり、冬の寒い日は、逆に昼すぎてこないと、あたたかくなりません。


それに、最上階に住むと、万が一、ハリケーンのときに大変です。

屋根が飛んでいってしまって、水浸しになります。


一階は、逆に、防犯の面で心配です。これは、日本と同じですね。

3階ぐらいがいいでしょう。

2階だと、まだ、簡単に泥棒さんが、登れます。

アメリカは、車社会ですから、家にいるのか、いないのか一目でわかっちゃいます。


3階や、4階以上になると、ハリケーン等で停電になったとき、エレベーターが使用できず、階段を上り下りするのが、大変です。

上の階になれば、なるほど、水圧も低い場合があります。これは、水圧を強くするのが、$20ぐらいで売ってますから、これでなんとかなるといえば、なりますが、それでも、困る場合もあります。


駐在の方は、Doralに住むと前に書きましたが、一軒屋に住む場合、大事なのは、エアコンが2台あるか、ないか、です。

1階と2階では、気温が違います。2階をすずしくしようと思うと、1階は寒くてしょうがなくなります。
逆に、一階が、快適だと、2階は、暑いです。

エアコンが、1階用と2階用と、ふたつあるのが、理想です。

もちろん、部屋は、北向きが一番です。

2008年7月21日月曜日

人種差別のとある歴史と今

日系人(ここで、いう日系人というのは、アメリカ人でもある)に対する差別の話がでたので、ついでに、アメリカの人種差別の歴史をちらっと。


私が、アメリカの人種差別について、初めて感じたのは、日本に住んでいる時、近所に住んでいたアメリカ人の白人のおじいさんからだった。

「僕は、LittleRockNineと、同級生だったんだ。」


http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_06.html

LittleRockNineとは、アメリカの中南部、アーカンソーという州の首都、リトルロックに住んでいた黒人の9人の高校生のことである。

アーカンソーというと、前大統領のクリントン氏の出身で知事だった州である。


前ブログ記事のとおり、黒人も白人も平等に「アメリカン人である」と法的に認められたのは、1964年。

白人と黒人を統合する運動がはじまりつつあった、1957年、白人ばかりの高校に黒人9名が入学することとなる。

1956年のアーカンソー州知事選は、「白人と黒人の生徒を統合した学校をつくらない!」をスローガンの某氏が、知事となったばかりだった。


白人側から、黒人が白人の高校に入学する!と、文句が出、なんと、知事自ら、州の軍隊を高校に設置、黒人が入学しないように、阻止する。


この自体を、重く見た、当時の大統領は、連邦の軍隊を、1,200人、アーカンソーに送る。
送ったときには、すでに、学校が始業してから3週間もたっていたが、なんとか、この黒人生徒9人は、授業を受け始めることができた。

ここがアメリカですね。州の軍隊と、連邦、つまり国の軍隊がある。


そして、連邦軍が去ったあとも、差別を受けながら、高校を卒業するのですが、かなりの勇気だったでしょう。


州の知事が、州軍隊を送って、阻止するような状態だったわけですから。

こんな知事を、選んだこの州の保守さに驚きます。アメリカは、広いですから、州によって本当に違いますね。フロリダ州は、ここまで保守的ではないとは、言われてますが。
(とはいっても、黒人で選挙権を持つ人は少なかったわけですから、当たり前といえば当たり前の選挙結果ってことですね。)


そのおじいさんは、私にその話や、彼からみた同級生たちの話をしてくれて、そして、こう続けました。

「今は、この高校は、黒人ばかりなんだよ。」

「なぜか、わかるかい?」

「公立の当時は、トップクラスの高校だったのに、黒人が入学してきたものだから、白人は、自分たちで私立の高校をつくったんだよ。」

「現在のリトルロックで、白人であれば、必ず、私立の高校にいってるさ。」

「そして、もちろん、白人たちは、郊外に引っ越したんだよ。」

「リトルロックでは、今も、何も、変わっちゃいない。黒人は、公立の学校に行き、白人は、私立の学校に行くことになっただけさ。」



以上は、おじいさんの話ですが、私がグーグルしたところによると、2007年の50周年記念の時点で、その高校の白人と黒人の比率は1:1だそうです。(ってことは、その公立に行っている白人は、ヒスパニック系か!?)

でも、同じ教室の中でも、右側は黒人が、左側は、白人と、くっきり、しっかり、別れて座っているとか。2008年ですよ!世の中は。



いわゆる、ルイジアナ、アラバマ、ジョージアあたりの南部の保守的な州に留学したことがある人は、このような教室の光景は、普通だそうです。


そして、私たち、日本人は、どこに座る!?!?!?

白人と、黒人の真ん中に、らしいです。

でも、どちらかというと、黒人よりに、座るらしいです。

Colored(有色人種)ですからね・・・。私たちは。

だから、戦時に強制収容所に入れられたんです。同じ敵だけど、白人だったドイツ系アメリカ人には、何もしなかったのに。