キューバ革命を語る前に、まず、キューバ国内に、アメリカが存在することを知っている人、手をあげて~~~
1898年にスペインは、アメリカとの戦争にまけたので、キューバの一部を、アメリカに永久租借をすることになったのです。グアンタナモとよばれる街ですが、米軍基地もあります。
(キューバが戦地と、当時はなりました。)
今は、キューバに返還しようという動きもでてますけどね・・・
さて。
第二次世界大戦が終わり、ユダヤ人たちがたくさん、アメリカに逃げてきて、マイアミに引っ越しました。
冷戦といわれるものが、強くなるころです。
そして、キューバ革命が、1950年代に起こります。
いわゆる、「共産主義」の思想ですね。
当時のアメリカの敵は、共産主義のソ連。
ずいぶん、遠い場所にあるので、安心していたら、アメリカのすぐそこに、共産主義の国ができてしまった、というわけです。
私、アメリカ来るまで、知らなかったんだけど、政治家って、みんな弁護士、なんですね。
日本って、政治家=弁護士では、ないでしょ?
カストロも、かつては、弁護士。クリントンも、ヒラリーも弁護士。オバマだって、弁護士です。
革命後、キューバ人は、メキシコ経由で、アメリカなどに、亡命するわけです。
そして、1960年代にはいり、キューバ危機。キューバで、ミサイルが、アメリカに向いてたっているというわけです。
アメリカ・キューバ間の関係が悪くなり、もちろん、亡命者は、あとをたたずです。
それで、キューバ革命後、マイアミに、キューバ人口がどんどん増えていくわけですね。
そして、以下が、一番のポイント。
1980年のたった半年間のキューバのマリエル港の開放。
マリエル港の開放については、別記事を書きますが、簡単にいうと、カストロが、「もう、勝手に亡命したいのなら亡命しろ!」と、半年間だけ、許可したのです。
アメリカ側も、その半年間だけ、受け入れることにしたのです。
この半年間、わんさわキューバからアメリカに(といっても、全員、マイアミへです)亡命します。
(「スカーフェイス」の映画も参照。)
95の高速の高架は、キューバ難民キャンプがたくさんつくられ、たくさんのキューバ人がマイアミに来ました。
当時のマイアミの、キューバ系人口が、たった半年で25%も増えたというのだから、ずいぶんだと思います。船にして、1,700船あまりが、来たそうです。
でも、カストロは、たくらみがありました。
キューバの刑務所に居た人間もみんな船に乗せて、アメリカに送ったのです。
これが、カストロのたくらみでした。悪い人間を、全員、マイアミに送ったのです。
さて、マイアミでは、何が起こったでしょうか。
今までは、お金持ち。たとえ、アルカポネのような悪いやつでも、金持ち。
そして、ユダヤ人や、北から、お金も持って、退職した人たちが、住む街のはずのマイアミ。
1980年代のマイアミは、全米一悪い街になってしまったのです。
犯罪・麻薬などの悪いイメージは、この1980年代にできたのです。
すべて、カストロの狙い通りでした。
アメリカに対する、逆襲。アメリカ人となってしまったキューバ系にたいする恨みも一緒にあったのでしょう。
1980年代から、マイアミは、最悪な街となりました。
2008年7月27日日曜日
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